ナノメートルスケールでの摩擦低減機構の解明

ここ数年、環境への配慮や省エネルギーの観点から自動車の燃費改善の要求が日々高まっています。特にエンジン内部の摩擦抵抗は直接燃費とかかわるため、エンジンオイルが摩擦低減に果たす役割は大きいものがあります。
今回、摺動面に形成されるエンジンオイルの添加剤に由来するトライボケミカル反応皮膜 (いわゆるトライボフィルム。化学吸着した反応被膜を本稿ではトライボフィルムと呼ぶことにします) による摩擦低減機構をナノメートルスケールでの分析・解析により解明した事例をご報告します。
本研究は摩擦低減というマクロな効果をナノメートルスケールにおける物性測定から解明した一例を示しました。

はじめに

エンジンオイルに広く使用されているZDDP (Zinc dialkyl-dithiophosphate) 添加剤に有機モリブデン化合物MoDTC (Molybdenum dithiocarbonates) を添加すると、ZDDPのみに由来するトライボフィルムよりも優れた低摩擦特性が得られることが明らかになっています。この差が何に起因するかは工業のみならず学術的にも注目され、様々な研究がなされています。
最近の表面の分析研究により、ZDDPトライボフィルムは図1に示したように表面から鋼基板まで少なくとも4~5層からなっており、表面近傍に存在する硫化物層がフィルムの表面性質を制御すると考えられています。この真偽を証明するには、表面性質を制御すると思われるフィルム表面近傍層の摩擦特性・機械物性および表面形態の違いを見出すことが不可欠です。

ZDDPトライボフィルムの多層構造

以下では、原子間力顕微鏡 (AFM: Atomic Force microscope) により表面形態を観察し、ナノインデンテーション・ナノスクラッチによるトライボフィルムのせん断強度およびナノ摩擦係数を求めることにより、MoDTC添加剤による摩擦低減機構を解明した結果を示します。

トライボフィルムの形成と摩擦特性

ここでの分析試料としたMoDTC/ZDDPトライボフィルムとZDDPトライボフィルムは、図2 (a) に示すピンオンディスク式単体摩擦試験機により鋼板上の摺動部に形成されたものを用いました。
それぞれの摩擦特性を図2 (b) に示します。ZDDPトライボフィルムが形成されたディスクの摩擦係数は0.11から0.12に少々増加したのに対して、MoDTC/ZDDPトライボフィルムが形成されたディスクの摩擦係数は0.12から0.04に急激に減少することが確認できました。
また形成されたトライボフィルムを光学顕微鏡で観察した結果を図2 (c)、(d) に示します。

トライボフィルムの摩擦特性と光学顕微鏡での観察結果

AFMによる表面形態観察

AFMによりトライボフィルムの表面形態を観察した結果を図3に示します。ZDDPトライボフィルム表面はMoDTC/ZDDPトライボフィルム表面と比べ極めて平坦であることがわかりました。また、摺動方向の平均粗さについては、両トライボフィルム表面に有意な差が観察されませんでした。
従って、MoDTC摩擦潤滑剤の添加は摺動表面の平滑化に寄与しないことがわかりました。

AFMによるトライボフィルムの表面形状観察結果

ナノインデンテーション法による機械特性評価

次に、ナノインデンテーション法を用いて両フィルムの表面近傍の機械特性 (弾塑性の違い) を調べました。図4に超低荷重押し込みで得られた荷重ー変位曲線を示します。
この結果、ZDDPトライボフィルムは最大圧入加重Pmaxが11μN以下では負荷曲線と除荷曲線とのズレが明瞭に観察されず弾性的な変位が保たれていました。一方、MoDTC/ZDDPトライボフィルムでは、低荷重のPmax=6μNから残塑性的な変形が確認されました。
つまり表面近傍では両者の機械的特性が異なっており、トライボフィルムのせん断強度はMoDTC/ZDDPの方が小さいことが確認されました。

ナノインデンテーション法によるトライボフィルムの押し込み荷重-変位曲線

ナノスクラッチ法による摩擦特性評価

また、ナノスクラッチ法を用いて両トライボフィルムの摩擦係数の深さ分布の測定を行いました。フィルム表面直下から15nm付近までの摩擦係数の分布を図5に示します。両トライボフィルムの摩擦係数が共に谷状に分布しています。しかし、摩擦係数の最小値とその深さを比べますと、MoDTC/ZDDPトライボフィルムの方が小さく、しかも浅いことがわかります。また、半価幅もMoDTC/ZDDPの方が小さくなっています。

トライボフィルムの表面直下領域のナノ摩擦係数分布

これらの結果から、両トライボフィルム表面直下には低摩擦係数を有するinner-skin-layerが存在することが、そしてそのinner-skin-layerはMoDTC/ZDDPフィルムの方が薄く、しかも摩擦係数が小さいことが明らかになりました。MoDTC/ZDDPフィルムのinner-skin-layerはZDDPフィルムよりも厚みが薄く摩擦が低いことが考えられました。

まとめ

MoDTC添加剤による摩擦低減は、両トライボフィルム表面直下に存在するinner-skin-layerのせん断降伏強度の違いと固有摩擦特性の差に由来すると考えられます。また、近年の表面分析結果によりMoDTC/ZDDPフィルムのinner-skin-layerはMoS2層状化合物であると推測することができます。

本研究は摩擦低減というマクロな効果をナノメートルスケールにおける物性測定から解明した一例を示しました。

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